胃腸炎?ストレス?再び入院することに
こんにちは、りらっこママです(^o^)/
今日は昨日の続きから.....
昨日の記事はこちら↓↓↓
これは今から18年くらい前の話です。
1型糖尿病の私は再び仕事を見つけて働き始めましたが、約2ヵ月で体調が悪くなり、また仕事を辞めざるを得なくなりました。
1日中吐き気がして、食欲もなく、ほぼ寝たきり状態に。
近くの病院で薬をもらいましたが、一向に良くならないので、かかりつけの総合病院で診てもらったところ入院することになりました。
その時は水分を摂っても吐いてしまう状態で脱水症状も少しあり、血糖コントロールも乱れていました。
約2週間ぐらい、ほとんど食べていないのでフラフラです。
入院して、不調の原因を調べて体調をもどすことと、血糖をコントロールを良くしましょうということになりました。
入院予定は約2週間。
入院してから、色々な検査をしましたが特に異常は見当たりませんでした。
入院してから徐々に吐き気も治まってきて、少しずつ食べられるように。
しんどいのがマシになり、食べられるようになると、血糖も落ち着いてきました。
しんどい、痛いなど体の不調がストレスとなり、血糖値が上がることもあります。
ストレスと血糖値は密接に関係しているのです。
検査をしてもどこにも異常はなく、先生方も不調の原因が分からず、頭を悩ませていました。
考えられるとしたら、自律神経の乱れかもしれないと。
自律神経は内臓などの働きを調整している、身体にとって大事な神経の1つです。
この自律神経が乱れると、心身にさまざまな不調が起こります。
糖尿病の合併症で自律神経神経失調症になることもあります。
先生の出した診断に少し疑問は感じつつも、他に原因が見当たらないからそうなのかなと思いました。
きっと仕事のストレスと疲労から自律神経が乱れたのかもしれない、そう感じていました。
ひとまず、吐き気が治まり血糖コントロールも安定して、元気になれたことが嬉しかったです。
検査で何も異常がなくて良かった。
糖尿病患者は常に合併症の不安を抱えています。
その頃には以前糖尿病が悪化して、32キロまで落ちていた体重も10キロほど増えて標準体重に。
激ヤセから2年ほど止まっていた生理も、順調にくるようになっていました。
順調に回復して、予定通り2週間で退院。
退院後、またまた仕事探しの日々が始まりました。
つづく.....
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡
ようやく決まった仕事だったのに.....
こんにちは、りらっこママです(*^^*)
今日は1型糖尿病の私が再就職したときの話。
前回の記事はこちら↓↓↓
退院後、私は仕事を探しました。
入院前は、駅前保育園で働いていて体調を崩したこともあり、保育士として再び働くのは抵抗がありました。
体力面もまだ自信がなかったので、事務の仕事を中心に探すことに。
でも正社員で事務の仕事はなかなかない上に、経験もないので応募してもなかなか受からず。
今回は持病のことも理解してもらえるところと思い、病気の事も伝えていたのでさらに大変でした。
そこで正社員はあきらめて、パートまで視野に入れて探しました。
ようやくパートで見つけたのが、大手の○○運輸の事務の仕事。
1型糖尿病であるということも話し、その上で採用して下さいました。
仕事内容は、電話応対やドライバーさんへの無線連絡、簡単なパソコン入力、書類整理など。
電車で1時間ぐらいかかる距離でした。
周りの上司や同僚の方も優しく、仕事も徐々に覚えていきました。
最初は順調に仕事に行っていたんですが、だんだんとストレスに感じることが増えていきました。
1つ目は、残業が多くなってきたこと。
パソコン入力などの自分の仕事が増えて、定時の5時には帰れないことが増えてきました。
2つ目は、電話応対。
お客さんからの集荷依頼や再配達の受付、苦情や問い合わせなど、様々な事に対応しなければいけません。大阪だったので、正直怖いお客さんが多かったです
。今から20年ぐらい前なので、まだまだインターネットや自動応対電話受付もあまりありませんでした。
3つ目は、ドライバーさんへの無線連絡。
お客さんからの集荷や再配達の依頼があると、その地域の担当のドライバーさんに無線で連絡しないといけません。ドライバーさんも怖い人が多く、『はぁ?そんなん無理。』『そんな時間にいけるわけないやん。』と、特に最初の頃は怒られてばかりでした。なので、無線連絡する度に緊張して、かなりのストレスでした。
そんな中でしたが、せっかく見つけた仕事だし頑張ろうと毎日必死でした。
異変が出てきたのは、働き出して2ヶ月ぐらい経った頃。
次の日が休みという夜。
夜寝ていると、仕事の夢を見ました。
内容は、お客さんから依頼を受けたのを伝え忘れてしまうというもの。
しまった!どうしよう?!
とパニックになっているとき、目が覚めました。
良かった!夢かぁ!
と思ったものの、何か本当に忘れてる気が.....
そうだ!あの件を伝えるの本当に忘れてた!
と気づき、朝一番に職場に電話。
無事伝えることが出来ました。
それ以来、何か忘れていないか、ミスしていないか、仕事から帰ってからもすごく気になり、休みの日も仕事の事で頭がいっぱいに。
夢の中でも電話の音が鳴り響き、電話の音を聞くのも怖くなっていきました。
今から思えば、どんどん精神的に追い込まれていったのだと思います。
そんなある日の休日。
急に気分が悪くなり、嘔吐。
食あたりかなと思いましたが、嘔吐しても吐き気が一向に治まりません。
吐き気が続き、食べることも出来ず、布団で横になっていました。
次の日も治らず、仕事は休んで病院へ。
食あたりだろうとのことで、吐き気止めなどの薬を出してもらい、飲みましたが良くはならず。
とにかくムカムカして、食べれず、あまり寝ることもできず、横になっているしかできません。
そんな状態が2週間ほど続き、結局仕事を辞めることに。
そしてまた入院することになるのです。
つづく.....
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
人生の転機となった入院⑤完
こんにちは、りらっこママです!
今日は久しぶりに1型糖尿病について.....
以前の記事はこちらから↓↓↓
私は今から約20年前のこの入院によって、命が救われたといっても過言ではありません。
入院して、重度の合併症が出ていたら自殺しようと真剣に考えていましたから。
その時の私は本当に投げやりになっていました。
私なんか生きてても仕方がない。
病気があるから幸せになれない。
家族や周りの人にも迷惑をかける。
と。
今考えると、周りのためといいながら自分勝手な考え方です。
ただ病気と向き合うのが怖かったのです。
逃げてばかりいた意気地なしです。
この入院で色々な人と出会い、色々な事を学びました。
まず同じ病気のAちゃん。
↑※私の中のAちゃんのイメージです。
明るく前向きに生きる彼女の姿に、どれほど励まされ勇気をもらったか。
病気のことも周りの人に堂々と言って、病気を言い訳にしない彼女の生き方は今でも私のお手本です。
また他の1型糖尿病の患者さんで、合併症から片目を失明された人もおられました。
真近でそういう人を見たのは初めてだったので、正直ショックでかける言葉も見つかりませんでした。
私も糖尿病が悪化したら、そういう状況になるかもしれないという、自分への戒めとなりました。
看護師や医師、栄養士や薬剤師などの医療スタッフの方々にも、親身になって相談に乗ってもらい、さまざまなことを教わりました。
こんな私でも周りの人が支え助けてくれると思うと、心強くなりました。
糖尿病教室では
『風邪など調子が悪い時の対処法』
『海外旅行に行く時の注意点』
『妊娠•出産について』
『足の手入れ』
『合併症について』
など多くのことを学べてよかったです。
これらについては、また徐々に書いていきたいと思います。
人生の転機となった入院ですが、約3週間で無事に退院。
勤めていた駅前保育所は入院前に退職していたので、退院後に私の就職活動が再び始まったのです。
つづく.....
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました(#^.^#)
人生の転機となった入院④
こんにちは、りらっこママです( ˆoˆ )/
今日の京都もいいお天気ですが、明日は雨みたいですね。
今日も入院の続きを.....
以前の記事はこちら↓↓↓
私が入院した病院では、糖尿病教室や栄養指導教室がさかんに行われていました。
医師や看護師による糖尿病教室では、糖尿病に関する様々な事を学びます。
病気の原因や合併症について、日常生活で気をつけること、飲み薬やインスリンのことなど多岐にわたります。
私はもうすでに発症して7年が経っていましたが、初めて知る事や以前聞いた事とは変わっている事もたくさんありました。
患者は発症間もない方や病歴が長い方などさまざまです。
やはり40代以上の2型糖尿病の患者がほとんど。
その中で、1型糖尿病患者向けの教室が行われたことがありました。
タイトルは忘れましたが、あるビデオを鑑賞。
若い男女のカップルが出てきて、女の人が1型糖尿病。デート中に低血糖になってしまい、病気のことを言えずにいた彼女は隠れてジュースを飲む。でもそれが彼氏に見つかり、病気を打ち明けることに。彼氏は病気を受け入れてくれ、やがて結婚。医師の許可をもらい、無事妊娠。大変な妊娠期間を乗り越え、かわいい赤ちゃんを産む。
詳しくは覚えてないですが、こんな内容だったと思います。
糖尿病教室で私が1番衝撃を受けたものです。
病気があるから子どもを産めないのではないか。
子どもに遺伝したら可愛そうだから、産まない方がいいのではないか。
そもそも病気である私が結婚できるわけがない。
私はそれまでそう思っていました。
当時の糖尿病の本には、妊娠や出産について詳しく書かれているものはあまりなく‘ 厳重な血糖コントロールが必要。合併症がすでに出ていると難しい。’と書かれているだけでした。
糖尿病教室でこのビデオを見て、‘ 私も赤ちゃんが産めるかもしれない!’という思いになりました。
心配していた遺伝も数%の確率なので、1型の場合はあまり心配しなくていいとのこと。
保育士になったのも、もともと子どもが大好きだったから。
この時「私は絶対、子どもを産みたい!産んでみせる!」と心に決めました。
糖尿病教室を一緒に参加していたAちゃんも「良かったね!子ども産めるやん!」と言ってくれました。
その前に合併症がこのまま出ないということと、相手がいないと.....ですが、とりあえず頑張れば子どもが産めるんだと分かったことは私にとって、大きな希望となりました。
つづく.....
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました♡
人生の転機となった入院③
こんにちは、りらっこママです🎵
今日は入院の続きを.....
以前の記事はこちら↓↓↓
1型糖尿病が悪化し、再入院したのは今から約20年近く前。
再入院するまでは、朝食前と夕食前の2回インスリン注射をしていました。
インスリンの種類は混合型。
速攻型と持続型が混ざったものでした。
でも再入院した時は、もうすでに1型糖尿病の患者には強化インスリン療法といって、1日4回打つのが浸透していました。
毎食前と寝る前。毎食前は速攻型を食事の30分前に打ちます。寝る前は24時間ゆっくりと効く持続型を打ちます。
4回打ちにした方が、健康な人のインスリンの出方により近づけるそうです。
インスリン製剤の種類もどんどん増えていました。
使い捨ての注射針も、どんどん細くて小さいものが出てきていました。
やっぱり医学の進歩は早いなと実感。
主治医の先生から、「4回打ちにしたら、血糖コントロールも良くなるよ。今は1型の人は4回打ちが当たり前。変えてみようか。」
と言われ、正直最初は嫌でした。
今まで2回でも苦痛だった注射が、倍に増えるなんて!
注射の回数が増える=病気がひどくなったような感じがして嫌だったのです。
でもその時の私はコントロールも乱れていて嫌だと言える状況でもなく、先生に言われるがまま4回打ちに。
インスリン注射をする前に血糖測定し、血糖値によってインスリンの量を決めて注射。
4回打ちになって煩わしいことは増えましたが、血糖コントロールは目に見えて良くなりました。
少し希望の光が見えた気がしました。
絶対出ていると思っていた合併症ですが、色々な検査を受けた結果、不思議にも何も出ていませんでした。
足の神経障害はありましたが、飲み薬を飲めば大丈夫とのこと。
何でだろう?あんなめちゃくちゃな生活をしていたのに。
嬉しさと同時に自分の使命を感じました。
病気であっても負けないで生き抜くという使命。
きっと神様が自暴自棄になっていた私を見るに見兼ねて、使命を与えて下さったんだという気がしてなりませんでした。
もう死のうと思っていた私。
でも逆に死ぬ気になったら、何もこわいものはない!
自分の未来の事など考える余裕もなかったけど、これからの人生の事を楽しく思い描くのもいいのではないか。
病気だからと諦めず、希望をもって生きてもいいのではないか。
次第にそう考えるようになっていきました。
病棟で糖尿病教室が頻繁に行われていて、そこで学んだ事にも大きな影響を受けました。
つづく.....
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました(๑ ᴖ ᴑ ᴖ ๑)
人生の転機となった入院②
こんにちは、りらっこママです(*´ㅅ`*)
今日は前回の続きを.....
前回の記事はこちら↓↓↓
朝に入院して、看護師さんが病棟の説明をしてくれ、身体測定などを行います。
昼からは主治医や栄養士、薬剤師が入れ替わり挨拶に来ます。
入院するとまず問診とベッドでできる簡単な検査が行われます。
主治医が行いますが、大きな病院ではたいていベテランの先生と研修医のペアが主治医となります。
ベテランの先生は外来などもあり忙しいので、入院中は研修医が主に患者の対応をします。
私の場合も、歳の変わらない若い男性の研修医が主治医でした。
問診では、病気を発症してから今までの経緯、今の症状、家庭環境などさまざまな事を聞かれます。
「今回体調を崩した時に、何かストレスを感じるような出来事はありましたか?」
と聞かれ、
「仕事が忙しくなったことと.....彼氏にフラれたことですかね。」
彼氏のことは関係ないかなと思い言おうか迷いましたが、糖尿病の悪化はストレスも関係することがあるので、正直に言いました。
「それはいつ頃?」
「どんな気持ちになったか?」
など突っ込んで聞かれました。
年頃の私にとっては恥ずかしかったです(--;)
ベッドの上の検査は聴診や首のリンパの腫れの有無、器具を使って脚気や神経障害の有無を見たりします。
あと寝ている時と立った時の血圧を比べて、自律神経は正常かどうかを調べたりもします。
問診と検査で1時間以上。
初日は結構ハードで疲れます(^_^;)
私の隣のベッドには、私より2つ年下の女の子Aちゃんがいました。
ガリガリにやせ細った私に比べると、ポッチャリしていて同じ病気とは思えないほど元気そうです。
聞くと2歳の時に1型糖尿病になり、血糖コントロールの為に入院中とのこと。
2歳で?!と驚きました。
発症時からお母さんにインスリン注射をしてもらい、学校などで理解•協力してもらうのが大変だった事などを話してくれました。
私は15歳で発症したので、自分で注射が出来たけど、お母さんが注射や病気の管理をしないといけないって大変だろうなと思いました。
「お菓子とか食べられないのは辛くない?」
と聞くと、
「小さい時から食べられないのが当たり前だったら味も知らないし、辛くはなかった。」
とAちゃん。
そうなんだぁ。
逆に私は小さい頃からお菓子を食べていて、美味しいものだと味も知っているから辛いのかも。
「病気って辛くない?」
と聞くと、
「私は物心ついてから病気であるということが、当たり前の生活だった。病気である年数の方が長い。だから辛くはない。病気と上手くつきあっていくしかない。治らない病気だしね。でも医学の進歩は早いし、いい薬が出るかもしれないよ。」
と答えたAちゃん。
すごく前向きに病気と向き合っていて、私は衝撃を受けました。
こんなふうに病気を受け入れて生きている同じ病気の人がいるんだと、後ろ向きだった自分が恥ずかしくなりました。
しかも私より年下なのに。
Aちゃんの主治医は30代の男性医師でしたが、Aちゃんは臆することなく「私は〇〇なんだから、こうする!」「インスリンの量は〇〇!」と堂々と意見していました。
意見というより、何だか怒っているような強い口調( ̄▽ ̄;)
患者の発言とは思えない。
医師もタジタジ。
私が「なんで先生にあんな感じでしゃべれるの?」
と聞くと、
「医師といっても、私はこの病気と18年つきあっているんだから、私の方がよく分かっている。先生はまだまだ分かってない。私の体のことは私が1番よく分かっている。」
とAちゃん。
私は18年もの経験があるんだという感じで、自信たっぷり。
その堂々とした姿にまたもや衝撃。
‘ 糖尿病は患者本人が主治医となって病気と向き合うべき’ということをAちゃんの姿を通して学びました。
このAちゃんとの出会いが、私が病気と闘うきっかけとなったのです。
つづく.....
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました♪♪
人生の転機となった入院①
こんにちは、りらっこママです(^_^)
今日は前回の続きを書きたいと思います。
1型糖尿病の私が保育士として働きだしたもののダウン。
その後の入院のことについてです。
前回の記事はこちら↓↓↓
(過去記事が増えてきたので、前回の記事だけ載せておきます)
当時の私は1型糖尿病を長年放置状態。
インスリンは打っていたものの、食事制限もせず、好きなものを好きなだけ食べる生活。
おまけに体調が悪くなってから、低カロリーのジュースをよく飲んでいました。
低カロリー=カロリーが低い=血糖値も上がらないと思っていました。
でも糖分は入っているので、血糖値は上がります。
喉が乾く→低カロリーのジュースを飲む→また喉が乾くの悪循環。
当時は悪循環になっていることに気づかず、ついにダウン。
50キロ近くあった体重が、32キロまで落ちていました。
糖尿病が悪化すると栄養分が体に吸収されず、どんどん痩せてきます。
結局、総合病院に入院することになりました。
大阪に新しく出来た総合病院で、5年前に建ったばかりのすごくキレイな病院でした。
入院の目的は、今の症状(食欲不振、足のしびれ、だるさ、吐き気)の改善と合併症の有無を調べる検査、血糖コントロールの改善、病気のことを改めて学ぶということでした。
病院全体にじゅうたんが敷かれ、部屋は4人部屋で広々。
一部屋に1つのウォシュレット付きトイレ。
今は珍しくないですが、当時はまたそんな病院は少なく、最初に入院した病院とは全然違い驚きました。
それと、糖尿病の病棟には私と同じ年代の1型糖尿病の人が何人かいました。
2型糖尿病の人がほとんどでしたが、同じ1型糖尿病患者との初めての出会い。
この出会いは私にとってかなり大きかったです。
最初の入院では、私1人だけだったので。
自分の気持ちを分かってくれて、共感してもらえる人がいる。
私ひとりだけではない。
それだけでどれほど心強いか。
後の人生で、私は思い知ることになります。
でもまだ入院したての私は、病室から外を見て‘ ここの病院の屋上から飛び降りたら死ねるかな’とそんなことばかり考えていました。
こんな状態だから絶対合併症が出ている、私はもうダメだと思い込んでいたのです。
つづく.....
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました🎵