人生をあきらめた時期
こんにちは、りらっこママです(^.^)
今日は保育士として働いていた私が、体調不良で倒れてからのことについて書きたいと思います。
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体調が悪くなり、ついにダウン
短大卒業後、駅前保育所でパートとして働いていた私。
相変わらず、食事制限もせずインスリン注射も適当にしていましたが、体調が悪くなることはなく1年ぐらいは普通に働けていました。
ですが同僚の保育士が倒れ、肉体的にも精神的にも辛くなり、私もついにダウン。
今まで病気をほったらかしにしていたことを考えると、ダウンしない方がおかしいです。
その時の症状は、とにかく体がだるく食欲もない。
足のしびれも日に日にひどくなっていきました。
お風呂に入っている時や、寝る前などピリピリと痛み、夜も眠れないほどに。
食欲がないせいもあり、体重もどんどん落ちていきました。
仕事はとりあえずしばらく休ませてもらうことに。
生きていても仕方がない
ちょうど私がダウンする直前、3年ほど付き合っていた彼氏に振られました。
しかも急に連絡がなくなり、電話で一方的に別れを告げられました。
到底納得できず、なぜ?どうして?私が病気だから?という思いばかりが湧いてきます。
この別れは当時の私にとっては、ショックな出来事でした。
彼氏と別れたストレス、体調の悪化も重なり、次第にうつ状態に。
1型糖尿病という病気は一生治らない。
将来的には、合併症になる確率が高い。
いや、もうすでに合併症が出ているかもしれない。
きっと出ている。
病気があると就職や結婚も難しい。
子どもが産めるかどうかもわからない。
常に私の人生には、病気がついてまわる。
この先、生きていても辛く苦しいことばかりではないか。
このまま生きていても、家族に迷惑をかけるのではないか。
診察代、入院費、薬代....お金もかかる。
今死んだ方が家族にとっても、私にとっていいのではないか。
家で横になっていると、そんなことばかり考えていました。
浮かんではかき消し、浮かんではかき消し.....
完全に病気に負けてしまっていました。
もう一度、病院へ
そんな時、母が「もう一度、最初に診てもらった〇〇クリニックに行ってみようか。」と言いました。
〇〇クリニックは、私が小さい時から診てもらっているかかりつけの医院で、私も母もそこの先生をとても信頼していました。
7年前ぐらいに、1型糖尿病を最初に診断された病院でもあります。
診断後は大きな総合病院を紹介してもらい、教育入院。
退院後もその総合病院に通院していましたが、最近では薬だけもらいに行ったりとまともに検査も受けていませんでした。
そんな状態だったので、ますます病院に行きづらくなっていました。
母もその状態がわかっていたので、そう言ったのだと思います。
このまま家にいても仕方ないかと、〇〇クリニックへ。
今までの事情を話すと、最初とは別の新しくできた総合病院を紹介してくれました。
次の日、紹介状を持って総合病院へ。
やはり「入院して血糖コントロールを行い、検査と治療をしましょう」とのことで、再教育のための入院が決まったのです。
「入院して合併症が出ていたり、何かつらいことがあったら自殺しよう」その時は本気でそう思っていました。
でもこの入院が、私の転機となったのです。
つづく.....
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました(n‘∀‘)η
資格があっても就職できない!?
こんにちは、りらっこママです☆彡
今日は苦労した就職のことを書きたいと思います。
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短大の実習は大変でしたが、何とか卒業と同時に「保育士」「幼稚園教諭二種」「社会福祉主事」の資格を取得。
この資格があれば就職できると簡単に考えていました。
ですが私の考えが甘かった....(´Д`;)
今から20年近く前。当時は就職氷河期で、そもそも求人が少ない。
採用試験を受けるとき、1型糖尿病という持病があることを言おうか正直迷いました。
言わないで後でバレたらどうしようか、もし職場で倒れたりしたら迷惑かけるから言っておいた方がいいのか、でも病気のことを言うと採用されないのではないか.....
色々悩んだ末に、採用が決まってから言えばいいかという自分なりの答えを出しました。
病気の人と健康な人だったら、健康な人を採用するに決まっている。
まずは病気のことを言わずに採用試験を受けて、実力で判断して欲しい。
そう思いました。
病気のことは伝えずに幼稚園や保育園の採用試験を何度も受けましたが、それでもなかなか受からない。
私だけでなく、周りの子達も就職で苦労していました。
やはり成績が良かった子は就職が決まっていました。
そもそも私は成績がいいわけではなく、ピアノも苦手。
実力もなかった私です.....(^_^;)
結局、正社員で就職が決まらず、とりあえずパートで働くことにしました。
パートで働きながら、正社員の仕事を探そうと。
私が働くことになったのは、当時増えてきていた無認可の駅前保育園。
新しく開園するところで、開園準備から働くことに。
ビルの2階のワンフロアーで、園長と保育士3人で開園当初は10人ぐらいの子どもを預かっていました。
子どもも徐々に増えて、半年後には20人くらいになっていたと思います。
大好きな子どもと関われる仕事内容は好きだったんですが、時給が低かったのが不満でした。
そんな不満もありましたが、2年目の春。
子どもは30人ほどに増えていました。
先生も5人ほどに。
私の病状ですが、相変わらずあまり食事制限はせず、適当にインスリンを打ち好きなものを食べる生活でした。
でも普通に働くことができていました。
ところがある日突然、その保育園で主となって働いていた先生が、体調不良で倒れました。
少ない人数でローテーションを組んでいたので、一気に負担がのしかかります。
働く時間も急に増え、その先生を頼りにしていたので精神的にも不安でした。
園長は脱サラしていて当然保育のことは素人です。
心身ともに負担を感じていたとき、体重がどんどん減っていきました。
仕事中もすごくのどが渇き、よく低カロリーのジュースを飲んでいました。
でも飲んでも飲んでものどが渇く。
まさか病気がひどくなったのではと思いましたが、仕事が大変だったので、自分の体調のことを考える余裕はありませんでした。
当時、低カロリーのジュースが流行っていて、カロリーが低い=血糖値が上がらないと思い込んでいたのです。
今考えると危険なことです。
低カロリーでも糖分は入っているので、血糖値は上がります。
そんな状態で働きつづけられるわけはなく、5月頃ついに私もダウンしてしまうのです。
つづく.....
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました(^-^)
1型糖尿病の私~短大時代~
こんにちは、りらっこママです(^_-)-☆
昨日は風が強いからか、花粉症の症状がひどかったです゚o(TヘTo)
今日は昨日の続き、短大時代のことを書きたいと思います。
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遊びたい、食べたい、目を背けたい
昼はアルバイトをして、夕方から二部(夜間)の短大に通っていました。
二部なので、卒業までに3年かかります。
学部は保育科。
保育士になることを目指していました。
一言でいうと、短大時代はとにかく病気から逃げていました。
1型糖尿病であるということを認めたくなくて、とにかく食べる、とにかく遊ぶことで気を紛らわせていました。
先のことはどうでもいい、考えたくない、今が楽しければそれでいい。
そう思っていました。
自分でも止められない食欲
食事はカロリーも栄養も考えず、普通の人以上に食べていたと思います。
朝バイトに行く前にご飯を食べて、昼はバイト先で食べる。
夕方4時にバイトが終わり、おやつを食べてから短大へ。
電車で一時間半ほどかかっていました。
短大に着いたら、授業の前にコンビニで買った夕食を食べる。
21時に授業が終わり、家に帰る途中でまたコンビニへ。
お菓子を買って、22時半頃家に帰って食べる。
その繰り返しで、コントロールはさらに悪化。
どんどん太る一方。
そんな状態の中、病院に行って検査するのも怖く、先生に怒られるのが分かっていたので、病院から足が遠のいていきました。
必要なインスリン・注射針などをもらうため、親に代わりに行ってもらっていました。
家族も心配して「そんなに食べたらあかん」「ちゃんと病院行きや」と言われていましたが、「うるさい!ほっといて!」と聞く耳を持ちませんでした。
今考えたら、なんという子ども.....(;´д`)
1型糖尿病になってから、溜まりに溜まったストレス・怒り・悔しさが爆発したのだと思います。
食べることに対しての執着がひどく、過食傾向に。
もう自分でも止めることができませんでした。
遊んでいると病気のことを忘れられる
短大時代、初めての彼氏ができました。
病気のことも理解してくれ、目の前で注射も打つぐらいに。
彼氏や友達と遊んでいると、病気のことは忘れられる。
バイトや短大のない時は、とにかく遊んでいました。
遊ぶといっても危険なあそびじゃないですよ(^_^;)
カラオケ、ボウリング、ゲームセンター、ビリヤード、ファミレス。
健全な遊びです。
夜遅くなることが増えていきました。
一人でいると、病気のことを考えてしまうので。
そうして、病気から目を背けて逃げてばかりいたのです。
合併症の症状!?
糖尿病にとって、1番怖いのは合併症です。
高血糖の状態が長く続くと、体のあらゆるところに合併症が出てきます。
代表的なのは、しめじ(神経障害・眼・腎臓)です。
すぐに症状が出るのではなく、じわじわと知らず知らずのうちに忍び寄ってくるのが合併症の怖いところです。
気づいた時には、どうしようもない状態。
すぐに症状が出ないので、油断してしまうのです。
私がそうでした。
ある日、お風呂に浸かっていると足の指がピリピリ。
気のせいかなと思っていたら、何日も続く。
寝る前に布団に入っている時も、足がピリピリするように。
足が痛くて、なかなか眠れない.....
“合併症かな?”と思いつつ、考えると怖いのでなるべく考えないように。
まだ我慢できる痛みだったので、病院には行きませんでした。
今考えると、それは神経障害の始まりでした。
つづく.....
1型糖尿病の私~高校時代~
こんにちは、りらっこママです(´∀`)
今日は、教育入院を終えてからの高校時代について書きたいと思います。
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病気のことは誰にも知られたくない
約1ヶ月間、教育入院のため高校を休んでいた私。
親に頼んで、友達や同級生・クラブの先輩には過労ということで先生から伝えてもらっていました。
とにかく1型糖尿病ということを誰にも知られたくなかった。
糖尿病=食べ過ぎ、飲みすぎ、ぜいたく病、甘いものの食べ過ぎ、中年特有の病気。
このイメージしか頭になかった私には、どうしても病気ということを言うことができませんでした。
このイメージと私をイコールで結びつけてほしくなかった。
絶対に隠そう、そう決めました。
一部の先生以外は、私の病気のことを知らなかったと思います。
幸い、インスリン注射も朝と夕だけだったので、友達が気づくことはありませんでした。
でも、一度だけ知られそうになったことがありました。
それは、1番仲が良かった友達の言葉。
「そういえば、入院する前にのどが渇くとか、トイレ近いって言ってたけど、まさか糖尿病やったんちゃうよな~?」
と、笑いながら言われました。
一瞬、固まりました。
ど、どうしよう?
まさか気づいた?
でもここは、全力で否定するしかない!!
「まさか~糖尿病なわけないやん。ちょっと疲れが溜まって入院しただけ。」
と笑いながら答えた私。
多分顔は引きつっていたと思います。
その言葉を信じてくれたのか、その友達はもう病気のことを言ってくることはありませんでした。
病気に対する偏見
病気を発症する前と変わらず、順調に高校生活を送っていました。
私を担当する各教科の先生たちは、私の病気のことは知っていました。
退院後の体育の授業の時。
いつも通りに体育の服に着替えて、みんなと同じように集合して先生を待っていると、先生が私のところにやってきました。
「○○さん、またしんどくなったらあかんから、見学しておきなさい。」
「え?別にお医者さんからも止められてないし、大丈夫です。」
「いいから、見学しておきなさい。」
「・・・ハイ。」
と、言われるがままに見学。
その後も体育は見学させられることが多くなりました。
それも先生によって・・・ですけど。
体育が嫌いだった私は、内心ラッキーと思っていましたが。
でも、1型糖尿病は主治医からの指示がない限り、運動の制限はありません。
逆に運動したほうが、血糖値が下がるので、運動療法を勧められます。
1型糖尿病は運動したらダメっていうのも、一種の偏見では?と思いました。
今から20年以上前の話で、1型糖尿病の生徒なんて初めてだっただろうし、先生たちが病気のことについて知らなくて当然なんですけど。
普段は病気のことをあまり考えなくてすんだんですが、体育の先生のその言葉で「やっぱり私は病気なんだ。みんなと違うんだ。」と嫌でも再認識してしまうのでした。
病状の変化
退院後は月に一回、検査と薬をもらうため通院していました。
毎日血糖値を測定し、ノートにつけ、主治医に見せてインスリンの量を指示してもらいます。
今から考えれば、高校生の時はまだ発症して間もなかったので、すい臓からインスリンが少し出ていたのだと思います。
最初は食事制限も守り、特に高血糖や低血糖になることもなく、コントロールも安定。
でも、高三になると友達とケーキバイキングやカラオケ、ご飯に行ったりするようになりました。
やっぱりみんなと同じように遊びたいという思いに、負けてしまっていました。
病気を隠そうとするあまり、疑われないように逆に糖尿病だったら絶対しないことをしてしまっていました。
友達の目の前で甘いものを食べたり、ジュースを飲んだり.....
そうすることで、自分が糖尿病じゃないと思いたかった。
そうしてだんだんと、コントロールも悪くなっていったのです。
つづく.....
教育入院ってどんなことするの?
こんにちは、りらっこママです(*^^*)
今日の京都の花粉情報は「やや多い」ですが、昨夜から鼻がつまってよく眠れずつらいです.....(´;ω;`)
さて昨日書いた「1型糖尿病」と診断されてからの続きです。
昨日の記事↓↓↓
3週間の教育入院
高校一年生の私にとって、初めての入院生活でした。
6人部屋の真ん中。
同じ部屋の方は50代~80代の「2型糖尿病」の人ばかりでした。
部屋だけでなく、病棟にも私と同じ「1型糖尿病」の人は1人もいません。
初めての入院、同じ年代で同じ病気の人がいない、「1型糖尿病」という病気になってしまった現実.....
入院した日、付き添っていた母が帰り、一人ベットの横で食べた夕食。
私は泣きました。
寂しさなのか、悔しさなのか、怒りなのか.....
全てが入り混じった感情でした。
糖尿病と診断されると、ほとんどの場合「教育入院」をします。
目的は糖尿病について色々なことを学ぶ。
自己注射が必要な場合は、自分で打てるようになるために手技を教えてもらいます。
そして、食事制限をして血糖値を安定させます。
私は高校生だったので、病院で学校の勉強をしながら、糖尿病についての本を何冊か読みました。
糖尿病のことを知れば知るほど、怖くもなりました。
合併症が進むと、最悪の場合、失明や透析・足の切断.....
でもこれは知っておかないといけないと思い、頑張って読みました。
栄養士さんによる栄養指導もありました。
私の場合は母と一緒に受けました。
決められたカロリー以上は食べてはいけない。
今より栄養指導は厳しかったように思います。
まだ食べ盛りだったので、これは辛かったです。
何より辛かったのが、血糖測定と自己注射。
当時は、血糖測定と注射の針が、今よりずっと太くて痛かったΣ( ;ω;)イタッ!
血糖測定の時は、ミシン針みたいなもので看護師さんに指を刺されていました。
一日に何回もするので、日に日に手に血豆が増えていきました。
当時は、今のようなペン型の注射器が出たところ。
他の人を見ると、小型の注射器で瓶に入ったインスリンを吸い上げて打っていました。
ペン型の注射器の方がまだ、針も細かったので、内心こっちで良かった~と安堵。
まだ発症したてだったせいか、朝食前と夕食前の二回打ち。
注射の手技はすぐに覚えられました。
毎回緊張して、嫌だなと思いながら打っていました。
でも打たないと食べられないので(^_^;)
インスリンを打ってからは、血糖値も驚くほど安定して、喉が乾く、トイレが近いなどの症状もなくなりました。
合併症が出ていないか、さまざまな検査も受けましたが、全て正常。
ちょうど高校のテスト期間と重なり、何日か病院から学校に通いました。
周りの「2型糖尿病」の人たちは「あんな若いのにかわいそうに」「親が贅沢させたんちゃうか」「食べ過ぎたんやろ」と口々に言っていました。
今よりもっと「1型糖尿病」に対しての知識がなく、認知されていなかった時代なので仕方がないですが。
「かわいそう」という言葉は同情してくれている、思いやっている言葉のように聞こえますが、言われているほうは「人のことを勝手にかわいそうと決め付けないでほしい」と思っちゃいます。
言われると「私って人から見たらかわいそうなんだ」と余計落ち込みます。
血糖測定や自己注射も自分でできるようになり、血糖値や体調も安定したので、3週間後無事退院。
注射を打たないといけないこと以外は、健康な前の状態と変わらず、病気であるということが嘘のように感じました。
退院してからは1ヶ月に一度、通院するように言われました。
つづく.....
1型糖尿病って知ってますか?
こんにちは、りらっこママです♬
突然、いつもと違う感じのタイトルですみません・・・(^_^;)
はじめに
タイトルにある「1型糖尿病」は私の持病です。
糖尿病は知っていても、1型糖尿病は知らないという方が多いのではないでしょうか。
この病気について、ブログに書こうかすごく迷いました。
このブログのテーマは「ほっこり」なので、テーマから大きくかけ離れている内容だからです。
でも、ブロクをやっていくうちに「自分にしか書けないもの」を目指したブログにしていきたいと思うようになりました。
もしかしたら、“病気について書くことで誰かを勇気づけられるかもしれない”“こんな病気があるんだと知ってもらうきっかけになるかもしれない”と思い、書くことを決意しました。
病気のことなので、少し重い内容になるかもしれないですが、なるべくわかりやすく丁寧に書くことを心がけたいと思います。
“こんな人もいるんだ”“病気でも案外普通に暮らしているんだ”という感じで読んでもらえたらと思います。
私が1型糖尿病を発症した時
私が1型糖尿病になったのは高校一年生、15歳の時でした。
それまでは大きな病気・怪我もなく、健康でした。
急に喉がよく乾くようになり、水分を多量に摂取するように。
でも、飲んでも飲んでも喉が渇きます。
それと、たくさん水分を摂っているせいかトイレが近い。
ひどい時は、30分に1回ぐらいトイレに行き、学校の授業を受けるのも大変でした。
喉が乾いて、水分を摂って、トイレに行く、の繰り返し。
はじめは、夏だから喉がよく乾くのかなと思っていました。
そんな状態が1ヶ月ほど続き、ある日体重を計ると、5kg以上急に体重が減っていました。
ラッキーと思いましたが、ちょっと減り方が普通じゃない。
いつも通り食べているのに・・・
だんだんと体もだるく感じることが増えて、これはおかしいと思うようになりました。
母に相談すると、早速家にあった病気の本で調べてくれました。
「糖尿病とちゃうか?」
「糖尿病っておっちゃんとかおばちゃんがなる病気やろ?私まだ高校生やし、太ってもないし、糖尿病なわけないやん。」
と、母の言葉を自信を持って否定しました。
私が知っている糖尿病の知識は、その程度でした。
ですが、症状はひどくなる一方で、結局かかりつけのクリニックを受診。
症状を伝えるとすぐに血液検査・尿検査となり、まさかの「糖尿病」と診断されたのです。
今から20年以上前の話なので、まだまだ1型糖尿病について医療関係者の知識もあまりない方が多かったのではないかと思います。
実際、私が受診したクリニックの先生からは「急になったから、急に治るかもね」という根拠のないなぐさめの言葉をかけられました。
突然の状況に呆然としていた私は、その言葉で少し気持ちが軽くなりました。
そう信じたかったのです。
母の方がかなりのショックを受けていたので、私は余計に普通でいようと思いました。
同じ母となった今、この時の母の気持ちが痛いくらいよく分かります。
子どもが病気になるって、どれほどつらいか。
そのクリニックで、大きな総合病院に紹介状を書いてもらい、次の日に受診。
そこでも血液検査と尿検査をして、改めて「若年性糖尿病」と診断され、あくる日から教育入院が始まったのです。
1型糖尿病ってどんな病気なの?
1型糖尿病は以前、インスリン依存型糖尿病・小児糖尿病・若年性糖尿病(小児期や年齢が若い時に起こることが多いため)などと呼ばれていましたが、今は1型糖尿病で統一されているようです。
主に自己免疫によって起こる病気。
健康な人は、膵臓(すいぞう)から血糖値を下げるインスリンというホルモンが分泌されています。
インスリンによって、食事や運動などによって上下する血糖値が、常に基準値内に保たれています。
ところが突然、自分の体のリンパ球があやまって、インスリンを作っている膵臓のβ細胞を壊してしまうことで、インスリンが出なくなります。
これが1型糖尿病です。
ほとんどの場合が原因不明。
私も原因不明と言われました。
過去のウィルス感染が原因となっていることもありますが、感染症ではないので、他の人にうつったりすることはありません。
私たちがよく聞く糖尿病は、主に生活習慣によって起こる「2型糖尿病」といわれるものです。
「1型糖尿病」は、生活習慣病でも先天性の病気でもありません。
病気の症状は同じですが、原因や治療方法が違います。
最近は若年層だけでなく、あらゆる年齢で発症することがわかってきました。
誰でも突然発症する可能性がある病気なのです。
2型と違い、遺伝が原因でないといわれています。
私も、家族・親戚に糖尿病の人はいませんでした。
1型糖尿病を発症したときにはインスリンがほぼ出ていないので、インスリンを補うインスリン注射が必要です。
1型糖尿病は全ての糖尿病患者数の約5%ほど。
子どもの年間発症率は、10万人に2〜3人です。
1型糖尿病は現在の医学では治りません。
一生涯、インスリン自己注射やインスリンポンプという医療器具でインスリンを注入しなければいけません。
高血糖の状態が続くと、さまざまな合併症を引き起こします。
患者自身が正しい知識をもち、適切な治療を受けることが大切です。
つづく.....